「京都伏見・初代佐土原藩主島津以久公屋敷跡発掘調査開始」お知らせ①
2022.10.14
「京都伏見・初代佐土原藩主島津以久公屋敷跡発掘調査開始」
R4.10月中、京都伏見町島津で島津右馬頭屋敷跡の本調査が始まります。8月、元国立森林総合研究所研究林だった同敷地の試掘で遺構が確認されています。1603年秋、伏見城の家康公から大隅来年2023年秋で、ちょうど関ヶ原合戦後佐土原復活420周年を迎え、発掘調査の成果に期待が膨らみます。。。
さて、今年の夏、京都伏見で佐土原絡みのイベントが突如沸き起こり、少々慌てました。来年,再来年にかけてのフェニックス佐土原復活420周年記念に、華を添えるような大事件になる要素を秘めております。当初10月初め予定だった桃山町島津の国立森林総合研究所跡地の本調査は、少し開始が遅れておりますが、同町内のお住まいだった稲盛和夫氏がご自宅でお亡くなりになったことが、まさかその遠因ではなかったかとも思っています。
2017年に同町内の一画で小規模な発掘調査が行われ、金箔瓦が出てきました。当時、専門家筋が分家の佐土原藩屋敷を疑い、薩摩宗家の屋敷跡ではないかと、少々日向佐土原勢には心外なコメントを新聞等で発表しました。ここへ来て5年ぶりに、決着をつける又とない機会が勃発したことになります。ただ、京都市の文化財保護課の担当者は、「丸に十文字紋の瓦が出てくる可能性はあるが、どっちの紋も同じで判別つかない」、とのツレナイ説明でしたが。こんな話題も滅多にないことですので、宮崎県の歴史番外編として、県大阪事務所、近畿宮崎県人会で取り上げていただけますか、よろしくお願い致します。
佐土原は3殿物語と言って、京都、滋賀、岐阜でお一人づつお殿様が亡くなっている歴史があります。関ヶ原・上石津,京都で祭典行事が行われるため、佐土原町時代に役場から佐土原「丸に十文字紋」の幟旗を預かり、毎年各地を駆け回っております。
宮崎県は日向の国の時代から旧藩ごとに独自の歴史文化を重ねているため、まとまりに一つ欠けるということですが、宮崎県民歴ゼロの感覚としてone宮崎、チーム宮崎の象徴として各藩の幟旗が良いのではないでしょうか? 相撲の場所前会場風景は、必ずずらっと建ち並ぶ幟旗のシーンが紹介されますが、宮崎関係のイベントで延岡勢、高鍋勢、佐土原勢、飫肥勢、都城勢など県内4藩2領の幟旗が一斉に勢揃いしてはためく姿は、ちょっとイカスのではないですか? ぜひ来年は、県事務所か県人会で協力して田舎から全部の幟旗を取り寄せて、いっぺん4藩2領one宮崎で揃い組みしましょう! ちなみに佐土原の場合、役場から佐土原名入りが一旗、丸に十文字紋が5旗送られてきました。(記・写真:近畿佐土原会 宇宿啓志)